華やかで可愛く、それでいて強い人でした。しめっぽいことはきっと嫌うことと思います。
ですから、敬愛する「浜田佳美」の半生を振り返り皆様にお伝えすることで、追悼の意とさせて頂くことにしました。
2009年9月28日、曇り空からぱらぱらと小雨が降り出してきた時刻、彼女は47年という あまりにも短い生涯の幕を静かに閉じた。
月曜日という日を選んだのも、彼女らしい選択だったのかもしれない。
葬儀はまるでイベントのように、全国各地から彼女に会いに来た人で埋め尽くされ会場は総動員となった。
用意していた返礼品が足りないという事態を生み出す程に、外まで行列ができていた。
それだけで、どれだけ彼女が愛されていたかがわかる。
いつも彼女は可愛くて、愛らしくて、美意識の強い女性だった。
「だって、デザインをする人間が自分の事もデザインしているほうが面白いでしょ?」
楽しそうにほほ笑みを浮かべ、髪を切る姿は常に生き生きしていた。
少し前に、長かったトレードマークのような髪をばっさり切った彼女はこう言った。
「これからはね、もっと前に進んでいくの。スタッフを、さらに愛して自分も育てていくの。」
常に未来を見て、前向きな彼女は 髪型を変えたことを「決意」だと表現した。
今までの自分の固定観念は捨てて、スタッフをもっと育ててやりたいんだと、こっそり教えてくれた。
抗がん剤を打たないと死ぬかもしれないという選択肢を迫られた時、
「髪が無くなるなら、私は死んだのと同じです。最期まで女性として生きたい。」
そうはっきり医師に伝え、スタイリストとしてのプライドと自分の美を最期まで守り抜いた。
けれど誰よりもお客様のこと、スタッフのことを考える心を持った人だったから、
「お客様の髪型のことが気になるの、私がいなくなっても皆はLIVESに来てくれるかしら」
彼女は死ぬ間際まで、ひとりひとりの顔を思い浮かべながら色んなことを心配していた。
いつか髪を切れる日を夢見ることよりも次なるLIVESのステップのこと、そして自分がいなくなってしまった時に、
お客様にかけるかもしれない迷惑を思い泣いた...。
「私は自分の人生に悔いはないの、自分の好きなことを全うしたんだもの」
技術を最高級に磨き、持ち前のセンスと腕で数々の賞を受賞、まわりからの多大な信頼を得て、
最初は小さな8畳のお店からスタートしたLIVESは、3ヵ月もの予約待ちという伝説を作った。
いつの間にか2店舗目、3店舗目と拡大し、現在のLIVESを作りだしたのは間切れもなく浜田佳美自身である。
彼女に髪を切って貰うと、魔法にかかったようなウキウキした気持ちになった。
それは、彼女の持つ魅力がそうさせると同時に、揺るぎのない巧みな技術で、髪を切る相手のファッションや
性格、雰囲気、要望、全てを把握した上でのヘアスタイルデザインを提供していた。
才能と簡単に言ってしまえばいいのかもしれないが、努力を人に見せない姿勢はあまりにも美しく、素晴らしい感覚を持って
丁寧な仕事をする人だった。それが、「カリスマ」と呼ばれた所以であるのだろう。
華やかで服装にもこだわりを持ち、ファッションショーで見たドレスや作家が作った着物や独特のお洒落で店に立ち
まるでパフォーマンスをするかのように「カリスマ」性をより強化し、まわりから見られる自分を演出し続けた。
「ファッションはね、とても大事。外を歩くと、振り返られる。それでいいの、私たちの仕事は夢を売ることだから。」
オーラを自ら放ち、かっこいい女という、ぶれない軸を常に太く持っていた。
数々の名言や、伝説を生み続けた彼女が残した遺産を、スタッフ全員で一丸となり相続していこうという決意は
誰が最初に言い出すでもなく、皆が皆、熱い想いを持って浜田佳美の意志を受け継ごうと決めていた。
『浜田佳美という名を汚さない、スーパースタイリストを目指して、これから日々精進していきます』
口裏を合わせたわけでもないのに、スタッフひとりひとりがLIVES魂を背負っていた。
生前、彼女は自分の持つ美学や持っている技術、様々な想いや生き方、考え方を伝授し続けていた。
まるでいつかいなくなる日を知っていたかのように、一生懸命、夜中まで丁寧に指導し魂を注いでいた。
スタッフの誰もが目指すところは【浜田佳美】であったことは言うまでもない。
追い越すことがもう出来ない永遠のスーパースタイリストとなってしまった彼女に認められるようになるには
並大抵の努力では難しいということも、スタッフ全員が理解している。
だからこそ、寝る間を惜しんで勉強する次世代のスーパースタイリストたち。
果てなき遠い野望なわけではない、目の前にいた憧れの人、彼女に教えて貰っていた全てのことが彼らの自信としてある。
そのベースを元に自分たちなりの、より最強のLIVESを築きあげていってくれることだろう。
知識や、教養を日々養い続け、あらゆる情報を収集し、交わす会話でお客様が楽しんで頂けるように、そして感性を磨き
お客様に満足して頂ける髪型を提供する為に、スキルアップの為に、LIVESというブランドの為に、浜田佳美の為に...。
晩年、彼女が願い続けたのは「私がいなくなっても、LIVESに来て欲しい」それだけだった。
奇しくも、彼女が他界した直後にKHA『2009関西へアドレッシングアワード』のデザイナーズ部門受賞できれば
その表彰台に立って栄光を噛み締め、次なる挑戦へと胸を膨らませ、どんどん進んでいって欲しかった。
死を意識し始めてからは、自分が叶えられなかったことを、皆に託すことが最後の夢だと気持ちを切り替えていた。
浜田佳美の夢を託したのは、LIVESメンバーだけではなく、お客様ひとりひとり、携わってきた人たち全員である。
次世代の光を育てるのは、世の中であり、世の中にいる貴方であり、自分自身であり、そのハートである。
是非、彼女の想いや、夢という希望に溢れるものを叶える為にも我々が応援できることをしていく、それが彼女から
教わったこと、得たこと、そしてLIVES、社会への恩返しだと思うのだ。
LIVESとは、LIVESに関わる全ての人が熱い思いを持つという不思議な魅力を兼ね揃えた世界、
そしてスーパースタイリスト浜田佳美が創り出した最高級のブランド。
LIVESは今、新たな伝説をスタートさせた。【浜田佳美】のことを知らない貴方にとっても、
よく知っている貴方にとっても、その創り上げてきたものの凄さは実感できることだろう。
是非ともこれからもLIVESに多いに期待し、多いに支援し、足を運んで欲しい。
ライター 貴詠(BILLY VERY)
この文章を書かせて頂くことになった経緯にはLIVESマネージャーと沢山の話をさせて頂いたことで想いをどうしても
伝えていきたい、佳美さんが生きた証をここに残しておきたいという念にかられ追悼の意を込め願い出ました
私もスタッフを抱えて仕事をしながら、アーティストとしての成功を叶えていこうとしている一人です
だからこそ、佳美さんの気持ちが痛いほど解り共感し、何よりも敬愛する人でしたので、こうして想いを書けることも幸せに想います
どうか、安らかに・・・とは言いません
ぐんぐん夢を叶えていきましょう!そこからだって願は叶うはずです
これを読んでくださった方々も同じ気持ちだと勝手ながら感じています
支えあい、協力しあい、助けあい、お互い必ず成功しましょう
笑って、最高!楽しい!やった!そう言える毎日を送りながら、彼女に逢える日まで、健康で寿命を全うしましょう
長文にお付き合い頂いたことに感謝すると共に、貴方に幸運が届きますように・・・