滋賀県彦根市の美容室LIVES-ヘアサロンライヴス

滋賀県彦根市の美容室 LIVES-浜田佳美の歴史

滋賀県彦根市の美容室 LIVES-浜田佳美の歴史

突然に、故・浜田佳美より手紙が届き、驚いた方もおられるでしょう。
晩年彼女がずっと抱いていた想いを皆様にどうしても感謝の気持ちと共に伝えたく代弁させて頂きました。

願わくば、貴方の大好きな音楽を聴きながら読んで頂ければ幸いです...

追記:
華やかで真っ赤なイメージの【浜田佳美】、真っ白な紙で送らせて頂いたのは、彼女が安らかに旅立ったのだということ、
そして彼女の潔さをあらわしています。紙いっぱいの手紙は、彼女の想いを出来るだけいっぱい詰め込みたいという想いからです。
押しつけがましくもしたくない、ただ、生きた証として、晩年ずっと思い続けていた願いをかたちにと、あえてメッセージだけを送らせて頂きました。 いつでも読んで頂けるように【浜田佳美】から贈られた手紙の文章を下記に掲載させて頂きます。

滋賀県彦根市の美容室 LIVES-浜田佳美からのメッセージ

お元気でしょうか?御無沙汰しております、浜田佳美です。
皆様にご挨拶することなく、ご心配をおかけしたまま旅立つことになりました。
最期までサロンに復帰できることを信じ、願い、病気と闘い、頑張り続けたのですが、ご愛顧頂いた皆様に迷惑をかける結果となって しまい大変申し訳なく思っています。正直、自分の才能をもっと試していきたかったという気持ちはありましたが、これで良かったと思え る人生でした。最期まで幸せだと思える悔いのない一生でした。そんなふうに思うことができたのは、皆様の存在があったからこそです。
大切な皆様にこの想いをどうしても伝えたいと、手紙を届けることにしました。
喜んでくれた笑顔が、お喋りした会話が、携わってっきた全ての人たちが愛しくて、LIVESに、私に会いに来てくださった方々に本当に感謝 の気持ちでいっぱいです。同時に私がいないLIVESに来て頂けるのかという事も心配で気が気ではありません。
今も、お客様ひとりひとりのヘアスタイルのことが気になって仕方ない現状ですが、もう皆様の髪を切ることが出来ない私から勝手ながらひとつだけお願いがあります。
私が育てたスタッフは私の分身です。一生懸命で熱いハートを持っています。伝えられる全てのことを教え、どこに出しても恥ずかしくない自慢の弟子に成長してくれました。充分に、お客様ひとりひとりに対して丁寧でカッコイイ、可愛いスタイルを提案し、喜んでいただける腕を持っていると確信しています。
まだまだ若い為、もっともっと技術面・精神面を精進していかなければならないことは確かですが、私の想いを、LIVES魂を持っていますので、きっとこれから更にお客様に満足していただけるスタイリストになることでしょう...
彼らは私にとっての「希望」です。私が叶えられなかった夢を叶えていってくれる希望たち。その希望を現実の光に変えていくには、どうしてもお客様のお力、ご支援が必要です。
私の姿はもう皆様に見えないかもしれませんが、心は常にLIVESに存在しています。皆様のヘアスタイルを随時チェックしておりますのでご安心ください。どうか、私の、LIVESのお力になってください。お願いばかりして、ごめんなさい。どうぞ、この想いが伝わりますように...
最後に、本当に本当に生前は大変お世話になり、有難うございました。LIVESは、そして私自身は、お客様が支えてくださっていた事を痛感しております。
また、いつかお会いしたい・・・お会いできた時は最高のカットを提供させて下さい。といっても、皆様には、できるだけ健康に気をつけて、長生きして頂きたいです。お会いできるその日まで、貴方の人生を存分に楽しんで下さい。ね。
そして笑っていて下さい。最高!楽しい!やった!そう言える毎日を送って下さい。
長文にお付き合い頂いたことに感謝すると共に、貴方に幸運が届きますように・・・皆様、本当にありがとうございました。 
LIVES 浜田佳美 <2009年9月28日 月曜日 永眠>

滋賀県彦根市の美容室 LIVES-浜田佳美からのメッセージ

華やかで可愛く、それでいて強い人でした。しめっぽいことはきっと嫌うことと思います。
ですから、敬愛する「浜田佳美」の半生を振り返り皆様にお伝えすることで、追悼の意とさせて頂くことにしました。

2009年9月28日、曇り空からぱらぱらと小雨が降り出してきた時刻、彼女は47年という あまりにも短い生涯の幕を静かに閉じた。
月曜日という日を選んだのも、彼女らしい選択だったのかもしれない。

葬儀はまるでイベントのように、全国各地から彼女に会いに来た人で埋め尽くされ会場は総動員となった。
用意していた返礼品が足りないという事態を生み出す程に、外まで行列ができていた。
それだけで、どれだけ彼女が愛されていたかがわかる。

いつも彼女は可愛くて、愛らしくて、美意識の強い女性だった。
「だって、デザインをする人間が自分の事もデザインしているほうが面白いでしょ?」
楽しそうにほほ笑みを浮かべ、髪を切る姿は常に生き生きしていた。

少し前に、長かったトレードマークのような髪をばっさり切った彼女はこう言った。

「これからはね、もっと前に進んでいくの。スタッフを、さらに愛して自分も育てていくの。」

常に未来を見て、前向きな彼女は 髪型を変えたことを「決意」だと表現した。
今までの自分の固定観念は捨てて、スタッフをもっと育ててやりたいんだと、こっそり教えてくれた。

抗がん剤を打たないと死ぬかもしれないという選択肢を迫られた時、
「髪が無くなるなら、私は死んだのと同じです。最期まで女性として生きたい。」
そうはっきり医師に伝え、スタイリストとしてのプライドと自分の美を最期まで守り抜いた。

けれど誰よりもお客様のこと、スタッフのことを考える心を持った人だったから、
「お客様の髪型のことが気になるの、私がいなくなっても皆はLIVESに来てくれるかしら」
彼女は死ぬ間際まで、ひとりひとりの顔を思い浮かべながら色んなことを心配していた。
いつか髪を切れる日を夢見ることよりも次なるLIVESのステップのこと、そして自分がいなくなってしまった時に、
お客様にかけるかもしれない迷惑を思い泣いた...。

「私は自分の人生に悔いはないの、自分の好きなことを全うしたんだもの」

技術を最高級に磨き、持ち前のセンスと腕で数々の賞を受賞、まわりからの多大な信頼を得て、
最初は小さな8畳のお店からスタートしたLIVESは、3ヵ月もの予約待ちという伝説を作った。
いつの間にか2店舗目、3店舗目と拡大し、現在のLIVESを作りだしたのは間切れもなく浜田佳美自身である。

彼女に髪を切って貰うと、魔法にかかったようなウキウキした気持ちになった。
それは、彼女の持つ魅力がそうさせると同時に、揺るぎのない巧みな技術で、髪を切る相手のファッションや
性格、雰囲気、要望、全てを把握した上でのヘアスタイルデザインを提供していた。
才能と簡単に言ってしまえばいいのかもしれないが、努力を人に見せない姿勢はあまりにも美しく、素晴らしい感覚を持って
丁寧な仕事をする人だった。それが、「カリスマ」と呼ばれた所以であるのだろう。

華やかで服装にもこだわりを持ち、ファッションショーで見たドレスや作家が作った着物や独特のお洒落で店に立ち
まるでパフォーマンスをするかのように「カリスマ」性をより強化し、まわりから見られる自分を演出し続けた。

「ファッションはね、とても大事。外を歩くと、振り返られる。それでいいの、私たちの仕事は夢を売ることだから。」

オーラを自ら放ち、かっこいい女という、ぶれない軸を常に太く持っていた。

数々の名言や、伝説を生み続けた彼女が残した遺産を、スタッフ全員で一丸となり相続していこうという決意は
誰が最初に言い出すでもなく、皆が皆、熱い想いを持って浜田佳美の意志を受け継ごうと決めていた。
『浜田佳美という名を汚さない、スーパースタイリストを目指して、これから日々精進していきます』
口裏を合わせたわけでもないのに、スタッフひとりひとりがLIVES魂を背負っていた。

生前、彼女は自分の持つ美学や持っている技術、様々な想いや生き方、考え方を伝授し続けていた。
まるでいつかいなくなる日を知っていたかのように、一生懸命、夜中まで丁寧に指導し魂を注いでいた。

スタッフの誰もが目指すところは【浜田佳美】であったことは言うまでもない。

追い越すことがもう出来ない永遠のスーパースタイリストとなってしまった彼女に認められるようになるには
並大抵の努力では難しいということも、スタッフ全員が理解している。
だからこそ、寝る間を惜しんで勉強する次世代のスーパースタイリストたち。

果てなき遠い野望なわけではない、目の前にいた憧れの人、彼女に教えて貰っていた全てのことが彼らの自信としてある。
そのベースを元に自分たちなりの、より最強のLIVESを築きあげていってくれることだろう。

知識や、教養を日々養い続け、あらゆる情報を収集し、交わす会話でお客様が楽しんで頂けるように、そして感性を磨き
お客様に満足して頂ける髪型を提供する為に、スキルアップの為に、LIVESというブランドの為に、浜田佳美の為に...。

晩年、彼女が願い続けたのは「私がいなくなっても、LIVESに来て欲しい」それだけだった。

奇しくも、彼女が他界した直後にKHA『2009関西へアドレッシングアワード』のデザイナーズ部門受賞できれば
その表彰台に立って栄光を噛み締め、次なる挑戦へと胸を膨らませ、どんどん進んでいって欲しかった。

死を意識し始めてからは、自分が叶えられなかったことを、皆に託すことが最後の夢だと気持ちを切り替えていた。
浜田佳美の夢を託したのは、LIVESメンバーだけではなく、お客様ひとりひとり、携わってきた人たち全員である。
次世代の光を育てるのは、世の中であり、世の中にいる貴方であり、自分自身であり、そのハートである。
是非、彼女の想いや、夢という希望に溢れるものを叶える為にも我々が応援できることをしていく、それが彼女から
教わったこと、得たこと、そしてLIVES、社会への恩返しだと思うのだ。

LIVESとは、LIVESに関わる全ての人が熱い思いを持つという不思議な魅力を兼ね揃えた世界、
そしてスーパースタイリスト浜田佳美が創り出した最高級のブランド。

LIVESは今、新たな伝説をスタートさせた。【浜田佳美】のことを知らない貴方にとっても、
よく知っている貴方にとっても、その創り上げてきたものの凄さは実感できることだろう。
是非ともこれからもLIVESに多いに期待し、多いに支援し、足を運んで欲しい。

ライター 貴詠(BILLY VERY)

この文章を書かせて頂くことになった経緯にはLIVESマネージャーと沢山の話をさせて頂いたことで想いをどうしても
伝えていきたい、佳美さんが生きた証をここに残しておきたいという念にかられ追悼の意を込め願い出ました

私もスタッフを抱えて仕事をしながら、アーティストとしての成功を叶えていこうとしている一人です
だからこそ、佳美さんの気持ちが痛いほど解り共感し、何よりも敬愛する人でしたので、こうして想いを書けることも幸せに想います
どうか、安らかに・・・とは言いません
ぐんぐん夢を叶えていきましょう!そこからだって願は叶うはずです
これを読んでくださった方々も同じ気持ちだと勝手ながら感じています
支えあい、協力しあい、助けあい、お互い必ず成功しましょう

笑って、最高!楽しい!やった!そう言える毎日を送りながら、彼女に逢える日まで、健康で寿命を全うしましょう

長文にお付き合い頂いたことに感謝すると共に、貴方に幸運が届きますように・・・

滋賀県彦根市の美容室 LIVES-浜田佳美の歴史

浜田佳美 HAMADA YOSHIMI

1962年8月16日~2009年9月27日 享年47歳 永遠の トップスタイリスト
現在のLIVESを築きあげ、伝説を作りあげてきたスーパースタイリストであり「LIVES」の魂
技術もファッションも向上心と共に磨きあげ、アーティストとしての自身を確立してきた
お客様に自信を持って提供できる“作品”というヘアデザインの数々を生み出してきたカリスマ
LIVESの可能性を限りなく広げた創始者の想いは、スタッフの心に存在し受け継がれ続けている

  • 1993年  LIVES OPEN
  • 1999年  LIVESリニューアル、現在のかたちに規模を拡大
  • 2002年  JHA(ジャパン ヘアドレッシングアワーズ)近畿エリア賞
  • 2003年  JHAライジングスター部門ノミネート
  • 2004年  三都杯デナイザーズ部門ファイナリスト
  • 2005年  クリエイティブ集団「D7」一員として参加、雑誌・セミナー・ショウで活動を行う
  • 2006年~ 関西を中心にカットセミナーを行い講師として活躍
  • 2009年  「COMMERCIAL PHOTO」に掲載
  •       KHA『2009関西へアドレッシングアワード』のデザイナーズ部門受賞

滋賀県彦根市の美容室 LIVES-浜田佳美からのメッセージ

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